肯定

晴れの日


思い出の公園で思い出の曲を聴くなどというセンチメンタルで自傷的な行動にでた

でも、傷つくことはなくて、その日々をあたたかく受け入れられて。

あの人を好きだった自分を、日々を誇らしく思えた

今までは、落ちていた部分の記憶か濃くて背徳感のあることが多くて、嫌悪感を抱いていた

でも同じ場所に来たら当時のあたたかい気持ちがよみがえってきた
幸せな気持ちになれた
素敵な思い出として受け入れられた

一緒にいるとき、「花束」を聴いて泣いたのは、きっとこの幸せを失ってしまうのがこわかったから。
こわいと思うほどに幸せだったから。

“幸せだった”
現在進行形ではまったくなくて、残念ながら過去完了な気持ちだけど、
それでもあの時の気持ちが残っていたことがわかってほっとしたような。
なんだか、もう大丈夫と思えた

忘れないで。の答えは
もちろん、忘れない。であると。

悪く塗り替えない。それは頭ではわかっていても、体感しないと進めないのです

でももう体感として思い出を肯定できた。

だからといって、イコール進めるではなくて。
後ろに引っ張られなくなっただけ、とりあえず褒め称えたいわい。


まだ、「特別な人」というよくわからないポジションは体感できません。

なんせ、一世一代でしたから。


恋でなく愛せるように。

誇り高く生きる。


3.12